敬老の日

ある程度の年齢まで お年寄りと暮らした人は、何かが違います。
人当たりと言うか、気遣いみたいなものが自然と出来るように思います。

残念ながら、私の祖父母達は 既に居ません。
共にした時も ほんの少し。

母方の祖父は、母が2歳くらいの頃に戦地で亡くなっています。
祖母は、私が小学校に上がる前まで よく預けられていたのですが、
何せ子供でしたので、あまり記憶にありません。
覚えているのは、ぴしゃりと厳しい人だったこと。
自ら志願して「献体」していたこと。

父方の祖父は、私が生まれて直ぐくらいに亡くなっています。
訊く所によると、一旗上げる為に熊本・球磨郡の田舎から大陸に渡り、
よく分らない色々な仕事をしていたとか。
祖母は、そんな祖父に困惑しながらも付いて行ったのだとか。
芯のある粘り強い人だったようです。
こちらの祖母とは、小学1年生くらいまで一緒に暮らしていました。
その後、倒れて植物人間になってしまいましたが。

彼らは、大陸から引き上げて来て故郷へは帰らず、
糟屋郡の炭鉱で働いていたそうです。
相当な苦労をしたらしいのですが、少しずつ土地を買い田畑を買い、
晩年は百姓を生業にしていたようです。

父は、自身が生まれた大陸の事や
炭鉱の社宅生活を快く思っていないようで 語りたがりませんが、
彼も既に老人の域、訊いて置きたいことばかり。

「フラガール」「ぽっぽや」「東京タワー」・・・
炭鉱の町を舞台にした映画は数知れず。

ラヂオで知った「三池 ~終わらない炭鉱の物語」ドキュメンタリー作品です。


彼らが生きて築いた日本。

これから どこへ行くのか。


私たちが生きて築いて行かなくっちゃね。
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by 555nao-ya | 2008-09-15 23:27 | 歳時記 | Trackback | Comments(0)
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