教えることは学ぶこと
2009年 10月 08日
前半は お針教室で お裁縫をお教えします。
後半は 上方舞のお稽古で 舞を教わっています。
自身の持つものを 伝えたり教えたりすることは、自らが大いに学ぶことになります。
いつもの習慣で解っているようでいても、
まっさらな相手に理解して貰うのは 自身が解っていないと伝えられないものです。
その伝え方も どのようにすると 腑に落ちるのか?
語彙も必要ですね。
ワタクシの場やい、つー とか くりっと とか、擬音が多い(汗)
伝わっているのか?
百聞は一見に如かず。
「こうします。」
見本を見せて、納得☆
私自身が もっと勉強しますっ。 はい。
私も、成り行きで人形とかの教室をもっていたこともあるのですが、
なかなか、言おうとしていることが言葉にならない。
この前も同じような方と話をしていて意気投合したのですが、
自分自身が人に習って覚えたものでない独創的なものというのは、教えにくいものですね。
教えるのが上手い人というのは、自分が苦労して覚えた人だと思うのです。
例えば私が初心者用パソコンの先生になったりしたら、どういうところが分からないかのツボがよくわかるから、いい先生になれるとおもうのです。
結局、独創的な事は、感覚だよりで、言語化されていないものですから、人に教えるのは、一から言語で組み立てなければいけないので難しいですね。
全く 仰る通り!
>独創的な事は、感覚だよりで、言語化されていないもの
ですね~。 この感覚は教えようが無い。
着物などの形が決まったものでさえ、解いて見ると縫い方が違っていたりします。
ましてや独創的なことは、10人居れば それぞれの作りになりますもんね。
それと想像力がないと難しいですね。
いい先生か どうかは別として、私は覚えも悪く時間が掛かったので、
不器用だったり、覚えられない人の感覚は 身に沁みて分かります。
その辺りは「教える」立場として 好いかなって思っています。